帯広市PTA連合会の研究大会で「子どもの心に触れる~ピンクシャツデーとかちの取組」と題した分科会が開催されました。演劇の発表もあり、百数十名の参加者の方が熱心に耳を傾けてくれました。
月別アーカイブ: 2015年12月
中園直樹氏とかちへ(2014.8.7)
十勝毎日新聞より
日本でカナダ発の世界的ないじめ反対運動「ピンクシャツデー」の普及に取り組む詩人・作家の中園直樹さん(東京在住)と、十勝で同運動に取り組む音更中の千葉孝司教諭が7日、帯広市内のとかちプラザで開かれた「第43回北海道学校教育相談研究大会(帯広・十勝大会)」(北海道学校教育相談研究会主催)で対談した。子供たちの命を守るためにはどうしたらいいのか-。教育現場で日々実践に取り組む千葉教諭が、いじめ被害の経験を持つ中園さんに当事者の思いや願いを聞いた。
千葉教諭 いじめられていた当時を振り返って。
中園さん あれほどしんどい時期はなかった。いじめられた人間同士でよく話すのは、大人社会ほど楽な世界はないと。大人社会では、いじめは犯罪として罰せられるが、子供時代はどんな犯罪的な行為もほとんど取り締まってもらえない。ブレーキが利かない子供だからこそ悪魔になり得る。働く必要もないので365日不眠不休でいじめようと思えば、いじめることができるのも子供時代だ。
千葉教諭 中園さんの本をすべて読み、大人の感じ方と子供の感じ方はこんなにも違うのかと目からうろこだった。
中園さん 被害者はいじめという言葉を見たり聞いたりするだけで心が痛む。しかし、いじめ経験のない人ほどいじめ反対、いじめ撲滅と簡単に言葉にする。だが、被害者はそれだけで心をえぐられる。だから僕の本のタイトルは一切いじめという言葉を使っていない。真剣にいじめをなくそうと思えば思うほど、いじめという言葉を使えないジレンマに陥る。
「見て見ぬふりをする人も共犯だ」もNGワード。力のない子供が止めてもターゲットが変わるだけで何の解決にもならないからだ。見ぬふりをして命を守っているだけなのに、「加害者と同じ」と責められたらどう思うか。同じように力のない子供にとって不登校は命の逃げ場。だから「不登校は悪い」と簡単に言わないでほしい。
いじめは力のある者が止める。僕は良い先生に恵まれてきたと感じているが、小学3年から大学までいじめられていた。巧妙ないじめほど、先生は見抜けない。「まさかあの子が」という子供がいじめているからだ。厳しい現実を認めた上で対策を立てる。現実を甘く見積もっても何の解決にもならない。いじめ被害者ではない人がやる対策は本当に甘い。
千葉教諭 被害に遭っている子供にどんな言葉を掛けるべきか。
中園さん 被害者は人格を否定されているので、君は生きててもいい、生きていても価値があるんだと伝えてほしい。私は本で、自分の身を守ることは悪いことじゃない、一人の人間として生きるために必要だと言っている。
千葉教諭 傷ついた子供の心に何を届けたらいいか。
中園さん 愛しているよという言葉。愛情は届く。しかし、愛だけではいけない。ちゃんと自分の身は守っていいんだよと正しく教えないといけない。日本の道徳教育は自己犠牲を強いるため、いい子ほど自殺に追い込んでしまう。自分の身を守ることは一人の自立した生きる人間として必要なことなんだと教えてほしい。具体的には、被害者が強い子であれば「反発してもいい」、存在感の薄い子であれば「隠れろ」とか、その子の個性に応じて教えてほしい。
千葉教諭 ピンクシャツデーは被害者を救うか。
中園さん 日本には「いじめは日本にしかない」「いじめは加害者だけではなくて被害者が(も)悪い」という2つの迷信がある。これがあるために、いじめ被害者は、社会全体にもいじめられる。いじめ防止法が欧米を中心に適用され、CAP(キャップ)など自分の身を守るための優れた海外の教育プログラムも知られていないので、先生は実践できない。しかし、子供たちがスタートさせたカナダ発の世界的な運動があると知っただけで、そんな迷信は吹っ飛ぶ。いじめられた人間は世界中でただ一人という錯覚に陥ってしまうので、世界中に仲間がいていじめ反対のために立ち上がっていると知ったら、救われるに決まっている。
千葉教諭 子供たちの命を救うために、新しい発想でここ十勝からピンクシャツデーを広め、北海道から日本を縦断して沖縄まで広がったら素晴らしい。